贅沢の探求

自分の色々なアウトプット&備忘録。最近はお金の勉強と副業関係。英語も変わらず! 

3年間の国家試験で得た勉強方法

2021年の宅地建物取引士の試験を受けてきました

比較的しっかり勉強をしてきたつもりです。。
実は2020年も受験していて、その時にこの宅建試験が終わった辺りで色々とまとめておけばよかったと思ったので今年はしっかりまとめておこうと思います。

テキスト

挿絵が多め、カラフル、など色々ありますが、
個人としては簡単に分かりやすくしようとする程、作成側の教え方のクセが出てくるなと言う印象。
なので自分の頭の中で理解しようとしてるのと、教える側の頭の中の形が違くなる恐れがあるのが結構危険だと思いました。

結果的に一番頭に入ったのは、きれいに書く必要性はないので、自分の頭の中を図に書いてみる、です。
これは力になるし、例えば似たような数字などが別の項目であったとしてもそれを同時にメモすることで頭のこんがらがっている部分もクリアになってきます。
何が解らなくなってるかをクリアにするのは大変ですが必須です。

私は常に
債権者を左/債務者を右、貸主左/借主右、などにした方が楽に頭に入ってきたので、常に意識してそうしてました。テキストも基本はそうなんですが、自分で!決めることが重要だと思います。

そして自分はカラフルすぎるテキストは苦手だと分かりました。
できれば白黒のテキストを使って自分で重ねて色や印を付けて行きたい。
重要なところは結構すぐ覚えたりしちゃうので、意外と大きな印は要らなかったりします。
あくまでも自分のいつも忘れる、間違えるところに特化したテキストが使い易いです。

マーカーやペンで書き込みしていきますが、基本はブルーのボールペンとプロッキー。もう何年もこれです。
マーカーは最初の頃は全て黄色、
大分学習を進めてから、苦手なところ、間違えるところに緑、
終盤の間違えるところ、見落としているところにピンク、
など、時期や弱いところに赤系の色を使うことにしてました。
これだとテキストを見るだけで一発で自分の苦手なところが分かります。

知識のアウトプット/暗記

インプットは多くの方は無意識に重きを置いてると思います。
アウトプットのやり方は人それぞれだと思いますが、
結果的に自分がやって良かったなと思ったのが、

“付箋にお題を書いてノートに貼っていって、覚えていることを書いていく”

です。

これだと、覚えたものは次回からやらなくて良いし、出来なかったものはもう一度付箋を貼りなおして書き出す。
以前も書いてあるので、見直しも楽です。
注意は、全部アウトプット出来なかった時に、その都度そこに全部を書き出すこと。
この思い出せなかったものを書く、と言う時は、悔しさや覚える!と言う気合が集中している瞬間なので、絶対書き出してください。

次回また思い出せなければただひたすら繰り返すだけです。
途中で過去問もやったりするので、覚えてない悔しさがグングン出てきます。

ゴロの使い方

昨今はYoutubeでも簡単に勉強ができるようになり、
講師の方ごとに様々な教え方を試すことができます。
ゴロもその中のひとつで、多くのゴロが出てきます。

まずはゴロを覚えること
次はそのゴロの指す単語を覚えることが必要となってきます。

ゴロだけ覚えてもそれが何だったかまでしっかり覚えるのは結構大変です。
さっきの暗記の方法でひたすら覚えました。

ゴロの作り方も、講師の方で結構差があるので、ここが合う合わないにもつながっていくのかなと思いました。
ただ、効率よく学習していくにはゴロは使った方がいいと思います。
私は今まで結構苦手だったんですが。
試験勉強では割り切ってしっかり使いこなすのが合格への鍵です。

読解力

今年の宅建ではこれに尽きるんではないでしょうか。
問題を読み解く力。これがかなり試されている印象です。
読み解いて、自分の知識と当てはめる。
どちらもできないと解けない。
なので過去問や模試で高得点を取っていても合格出来ない人がいるのは
読解力不足なのではと心底思っています。
本を読んでいた人には敵わないです。

項目分けに慣れるな

宅建の試験は、
民法】【法令上の制限】【税・その他】【宅建業法】【5問免除】
で科目分けされ、
その中で更に、例えば法令制限だと
【都市計画】【建築基準法】【土地区画整理法】、、、などの論点に分けられています。
過去問なども基本論点別過去問などで学ぶのがほとんどだと思いますが、
勉強をしていた時に気づいたのが、
最初にその論点が分かっているかで、解くスピード、頭の中の情報の出やすさがカナリ変わってくるということです。
実際に、
開発許可の問題だ!と思って解くのと、問題を読み進めて“これは開発許可だ”と気付くのでは全然違います。
しかも最近は、問題も論点別でなく、色々と一問の中に混ざっていることも多い気がします。
法令の開発許可の問題かと思っていたら、建築基準法や都市計画の問題が入ってくる、などのイメージです。

これはそのことに気付いているかだけでも、心持ちが全く違いますので、問題を解きながら、そういった違和感に疑問を向けれていたか、も大事だったのかなと思います。

テキストの中と現実を結ぶ

試験だけ合格しても、実際業務で使えないんじゃしょうがない、という試験を作ってる方々の思いを汲み取りました。
なので法改正や、その年の周辺で起こった事故、事件、世の中の動きなどは見ておいたいいと思います。
今年は単語で言うと、
ソーラーパネル、連れ子への相続権など、昼ドラを思わせる内容の問題も出てきてます。
模試でも相続絡みの殺人事件なんてのもありましたね。
基本を理解できているかがどれだけ大切かが分かります。
そしてそれを応用して使いこなせるか。
それが今試験に求められていることなのかなと痛感しました。

 

Book【スコッチウィスキーの歴史】③1900年代(20世紀)前期

もう、本を読みながら、泣きそうになる。
ざっとこの時期の振り返りを単語で。

DCL ウィリアム・ロス  合理化 改正国民予算案 ロイド・ジョージ 禁酒 SMD BIG3 不景気 不景気 不景気 お先真っ暗 

もう本当に第一次世界大戦からの流れ、そしてこれから第二次世界大戦がすぐそこに迫っているかと思うと、もう本当に今日までよくPOTstill Whiskyを作ってくれていた、と泣けてきてしまう。
スコットランドで稼働していたMalt Distillery、2ヶ所の時期があったって知ってた?
もう、その理由とか見てると胸から込み上げてくるものがあるよ。本当に。

ウィリアム・ロス の本読みたい。
どんな人だったかもっと知りたい。

まぁあとロイド・ジョージも。
この人の生活環境きになる。なんでそんなに酒に対して憎悪を持っていたのか。憎悪どこじゃないでしょ。

ばかっ!

 

泣きながら続きを読みますよ

 

Book【スコッチウィスキーの歴史】②1800年代(19世紀)後期

読んでますよ、まとめてますよ、あれから数週間。
1800年代(19世紀)後期。
ざっくり単語でお伝えすると、

Patentstill Grain Whisky、ブレンデッドWhisky、再建、スコッチ組合

などでしょうかね。

ここにきてBlended Whiskyの始まりについて結構詳しく書かれているので、そこに関してはしっかりまとめていく予定。
お楽しみにね。

 

Book【スコッチウィスキーの歴史】①

昨年だったか、一昨年だったかに買った本。Whisky好きの方なら知っている方ももちろん多いことと思いますが、この度ついに読み始めでございます。

Scotland(以後、SC)やEngland(EN)の歴史とWhiskyの歴史を追える素晴らしい機会。翻訳されているけど、最近の片手間にやっているような翻訳ではなく、とても読み易い日本語になってる。
日本のWhiskyの翻訳された本をこないだまじまじと読んだら、ショッキングすぎて。訳自体は合ってるんでしょうけど、英語がそのまま日本語になっているだけで順番もそのまま。うーん、プロの仕事って難しいですなぁ。

そんなわけでまず1700年代から。

読んでいて、ローランドにとって厳しい時代だったのがよくわかる。
戦争もあり、ENがSCのWhiskyや蒸溜酒に嫉妬して厳しい税金をかけてきたり、そして上手くいきそうだったローランド地方の産業に大打撃を与えたことが詳しく書かれていて、心が締め付けられる思い。
そして、スタイン家とヘイグ家がENへの輸出からローランドだけでなくSCのWhisky業界へと方向を変えた時代。
特に1788年の出来事だけを追ってもかなりこの時代苦しかったことがわかる。
今回読むときに自分の歴史年表に追加しながら読んでいるので、時代の流れがめちゃめちゃわかりやすくなって(時間は倍いじょうかかるんだろうけどw)、この先も頑張って読んでみるつもり。

この記事もうまく本1冊まとめれたら有料にしますね。そこまでやることが目標かな。がんばってみよ。

Ardmore

正直言って、Ardmore舐めてた。
味わいの話ではなく、読み進めるごとにめちゃくちゃ勉強になる蒸留所であるってこと。

Blended Whiskyのために造られた蒸溜所であり
Allied Breweries(/Distillery)~ChivasBro~BeamSuntoryまでの合併の流れ、
ハイランドピート・アイラピート
Lagavulin2
熟成庫の考え方。。
直火蒸留、、そこからファークラスとか見ると面白かったり。

などかなり盛りだくさん。

ここでは主にピートについて、後で書こうっと。

Auchroisk

Founded as recently as 1974, Auchroisk (“oth-rusk”, Gaelic for “the ford of the red stream”, which it takes from a nearby farm using the same name) was built by Justerini & Brooks (owned by Independent Distillers and Vintners (IDV)), the owners of the J. & B. blends.
 Intended意図された to ensure確実にする sufficient十分な amounts of whisky would be available for their blending purposes, the site of the distillery, west of Keith, was purchased in 1970 after extensive testing revealed明かす a local spring, “Dorie’s well” to contain含む high quality water, that would produce the type of whisky J&B was after; a whisky with a light style, not much unlike that produced at Glen Spey, to be used in J. & B. Rare.
Water from the site was taken to Glen Spey and distilled there to ensure this was the case. Satisfied満足した,construction of the of the distillery then commenced in 1972.
ブレンデッドウィスキーを作るうえで必要な味わいを作るために、キースの西側エリアに建てられた。
1970年代に近くの湧き水、Dorie’sWellを含む広範囲のエリアを、J&Bの原酒だったGlenSpeyとまた違った味わいの原酒を造るために購入した。
そこで採れた水はGlenspeyに運ばれ使用された。
蒸溜開始は1972年。

While the distillery was being built, IDV was taken over bfirst by Watney Mann, a brewery firm, and Watney Mann in turn was acquired by Grand Metropolitan within a year. 

In 1978, the first official bottling is released. From 1986 to 2001, the whisky produced would be sold under the name Singleton, though that name is now used for the whisky from other distilleries (Dufftown, Glendullan and Glen Ord). Grand Metropolitan merged with Guinness to form United Distillers in 1997, eventually becoming Diageo.

1978年に最初のオフィシャルボトルリリース。
1986年~2001年まで、Singletonの名前でリリースされていたが現在Singletonの名は別の蒸溜所のものを詰めている。
やがてGrandMetropolitanは1997年にDiageoとなった。

 

Glen Keith

Founder(founded in 1957)のChivabBRO(Seagram)はSitrathislaと同様に、誰もが知るBlended WhiskyのChivas Regalのオーナー。

 

in 1960s /100pipers,Craigduff,Glenisla

Seagramのオーナー、Sam BronfmanはEasy-Drinking Whiskyというジャンルを作ろうとしていた。
彼はJ&BやCutty Sarkなどの軽い味わいのWhiskyが既にUSAで成功しているのを見ていたのだ。
しかし、所有しているStlathislaの味わいはChivas Regalにとって重要な原酒となっていて、その味わいを帰ることは不可能だった。
そこで彼は最初にCutty Sarkを所有するBBRのHugh Rudd(BBRのチェアマン)にCutty Sarkの所有権を譲ってもらえないか交渉したが、失敗に終わった。

そしてついに彼は代わりにに100PipersというBlended Whiskyを作り上げた。
非常に軽やかな味わいは、この時代にGlenKeithで3回蒸溜を行い、求める味わいに近づけた。

この70年代には、アイラ島に自身の蒸溜所を所有していなかったため、スモーキーな味わいの原酒は自分たちで作らなければいけなかった。

そしてこのときに造られたスーモーキーな味わいのWhiskyは、オフィシャルのSingle malt whiskyとしてリリースされることはなかったが、後にインディペンデントボトラーズからCraigduffやGlenislaの名前でリリースされることとなった。
※実際にはシグナトリーから1973vinがリリースされている。